【努力は嫌いだし意味なんてない。成功しているのは特別な人だけだと勘違いをしていた過去】

シャウエン モロッコ

 

どうもよしきです

 

僕には非常に悪い癖がありました。
癖というか性格というかもはや病気というか。

 

それはすぐ「特別な誰かになりたがる」とこです。

 

特にSNSなどを見たときのこの症状は深刻で、
成功している人や人気者を見ると、「この人達は特別なんだ、、ああ、、俺の人生、、」ってすぐなります。

 

そして「こんな特別な人たちの人生を歩めたら、、、」
なんてバカげたことを空想しては、自分を責めて自己嫌悪に陥ります。

 

別に自分の人生で「不便だな〜」と思うようなことは少なくて、
むしろ何不自由なく生活ができて、かなり恵まれていたことには間違いありません。

 

じゃあなおさらなんでそんなことを思ってしまっていたのだろう。

 

自分の気持を書き出してみようと思います。

 

 

【努力が嫌い。どんなこともすぐに諦めていた】

努力

 

家族に愛されてすくすく育った僕は、
小中高と、クラスでは常に中心にいるようなタイプで、
友達もそれなりに多いほうでした。

 

でも、昔から何に対しても自信がない。
「根拠が無いけど自信はある」ではなく、「根拠はないけど自信がない」

 

どの世界にも上には上がいる。

 

自分より足が速いやつ。
自分よりゲームが上手いやつ。
自分よりモテるやつ。
自分より仕事ができるやつ。

 

そしてその人達を見て、
「はいはい、みんな俺とは違って特別なのね」と冷めた目で見る。

 

しかもそこで「なにくそ!絶対に越えてやる!」って燃えるタイプではなく、
「どうせ勝てないから努力はしません残念でした」ってすぐに悲観するタイプ。

 

だけど頭のなかではその人に勝つ妄想が深夜の通販番組のように永遠と流れ続けてたりする。
「実は俺にはすごい潜在能力があって、、、」「いつか開花するんだ、、」って。

 

気持ち悪いくらいかっこ悪いよね。

 

まるで服を着せられた犬のように為す術もなく暮らしている。
そんなすべてを諦めたような男だった。

 

【特別だと思っていた人はみんな努力家だった】

努力

だけどいつからかそれが変わり始めた。

 

いつだったろう?
なんか、「この出来事のおかげ!」というよりかは自然にそうなっていった感じ。

 

もしも「自信がついたから」というのが理由なのであれば、
その始まりは「留学」になるかもしれない。

 

留学生活半年間の初日。be動詞すらうまく理解できてなかった僕は、
例により、英語で会話をする同じ語学学校の日本人の生徒を見て
「いいなー、でもきっとあの人達はもともと頭がいいから特別なんだ」って。

 

それでもそのときばかりは必死で、人になにかをお願いすることも苦手な僕が、迷惑を承知で「わからないところがあるので日本語で教えてください!」って頼んでまわってた。

 

するとその「特別」な人たちは僕に目線を合わせてくれて、鼻で笑われてあしらわれてもおかしくないくらい初歩的なことも貴重な時間を割いて教えてくれた。

 

そうして、その「特別」な人たちと交流を重ねるうちにだんだんと分かってきたことがあった。

 

語弊を恐れないで言うと、その特別な人達は「ただの努力家」だったんだ。

 

留学の以前から、ぼくが遊んでいるときにその人達は机に向かい「猛烈な努力」をしてきた。

「特別」だなんておこがましい。失礼にも程がある。
「みんな知らないところで血の滲むような努力を重ねていたんだ」

 

おれはとんでもない勘違いをしていた。

 

でもそれと同時に新しい風が吹いた気がした。
「特別なんてないとしたら、もしかしたら僕もみんなに追いつけるかも、、」

 

そんなことを感じて約2年。

 

あのとき「I like sushi」しか言えなかった僕は
「特別」をひがむのではなく、「努力」を重ねて、
いまでは世界中に英語で連絡を取り合う友達ができた。

 

【人の努力と苦労から目を背けていた】

努力

「特別な人」なんていない。
みんな平等な時間の中でなにかを変えたくて、なにかを残したくて、
ただ前を向いて、未来だけを見据えてただひたすら努力をしている。

 

当時なにもしていなかった僕にはその姿が輝いて見えて「特別」に感じていたんだ。
僕の目にはその人達の「苦労」を見えなくするフィルターがかかっていて、
その人たちがあたかも片手間で簡単に大きなことを成し遂げていくように見えていた。

 

でも、みんなの努力を目の当たりにした時、フィルターが外れ視界がクリアに見えた。
物事の表面しか見ることができない狭い視野が少し広くなった気がした。

 

そのおかげか、
「ハッハッハ!貴様の人生!マージで羨ましいぞ!!おれにくれえ!!」
と思っていた僕も
「こうなるためにはどんな努力が必要で、いますぐ始められることは、、、」
って考えられるように変わっていったんだ。

 

【努力できない人なんていない。あなたもぼくも。】

努力

 

さて、この記事を読んだあなたはどんなことを感じたかな?

 

それでもやっぱり「特別」な人はいて、
自分のような凡人には絶対に敵わない。
だからそんなきれいごと並べるのはやめろ。

 

そう思う人もいるよね。

 

じゃあ思い出してみて?
例えば、補助輪を外したての自転車に乗ろうとしてたあの日の自分の姿を。

 

きっと何度も何度も転んだよね。
「痛い!」って泣いただろうし、擦りむいた膝から血だって出た。
「できない〜、もうやりたくない〜」って何回も何回も諦めようとした。

 

それで、あなたは諦めた?

 

「もうできない」って口にしながら、
涙を拭き、ママに傷口を消毒してもらって、
日が沈むまで、自転車と一緒に砂まみれになったはず。

 

そして、あなたはついに転ばないで自転車を漕げるようになった。

 

初めて補助輪無しで自転車に乗れたとき、
見てる景色は同じはずなのに、どこか違う気がしなかった?
新しいなにかが始まったような気がして、わくわくして、
何時間でも漕いでいられるような感覚にならなかった?

 

小さいときのことだからもう覚えてないかもしれないね。

 

でもそれは紛れもなく「努力」の結果なんだ。

 

僕らはそんな小さいときから努力による成功体験を味わっている。
だからその感覚を思い出せばいいだけ。

 

自転車と今の現状を一緒にするなって?

 

ううん、一緒だよ。
転んだって、痛い思いをしたって、
諦めないで目標に向かってやり抜く。

 

そしてそれを乗り越えた先に、新しい景色が見えてくる。

 

努力に違いなんてない。

 

バイクも車も乗れる大人が自転車の話を聞くと、努力が簡単でちっぽけなものに聞こえがちだけど、どんな努力も簡単じゃないよ。
簡単だと感じるようならそれはまだ努力とは言えないかもしれない。

 

どんな怠け者も、めんどくさがりも、
人は「これ!」って思えるなにかを見つけたとき、全力で努力ができるようになってる。
そう思うようになった。
例えば、自転車に乗りたいっていう目標や、お母さんに褒められたいっていう欲求のようにね。

 

それは人によって様々。
だから努力の数だけドラマがある。
だから努力は美しい。

 

【「特別な誰か」ではなく、あなたの人生を歩んで】

ウユニ塩湖

人の努力なんて見ようともせずに、
ただただ人生を悲観していた自分がまさかこんなことを言うようになるなんて。
書きながら少し微笑んでる自分に気づいた。

 

人って変われるんだ。

 

だからあなたも「特別な誰か」になりたがるのはやめて、
かけがえのないあなただけの人生を歩もうよ。

 

 

そしてみんなが自分自身を愛せる自分になったら
もっと、いまよりもっと世界がよくなると思うんだ。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

よしき(26歳) 24歳から留学、ワーホリ、バックパッカー旅を経て、現在は湘南にあるIZA江ノ島ゲストハウスの支配人をしています。青とダイビングとミスチルが好き。個人の留学エージェントとして大手エージェントより安く、留学やワーキングホリデーの語学学校の紹介もやってるので気軽に相談してください!